日本支配下の朝鮮の刑務所から、朝鮮人獄中者約2000人が、「朝鮮報国隊」と名づけられ、海南島に送られた。
 この人たちは、三亜、陵水、英州、八所、田独、石碌、感恩などで働かされた。おおくの人がいのちを失わされた。
 日本敗戦近くまでに生き残っていた人たちは、三亜市郊外の南丁に集められ、軍用道路建設、軍用洞窟掘りなどをさせられたあと、 1945年夏に殺され、焼かれたり埋められたりした。その人たちの名は、まだ、ひとりも明らかになっていない。
 日本軍がいなくなってから、南丁は、そこで殺された朝鮮人を悼んで、「朝鮮村」と名づけられた。
 「朝鮮村」には、いまも、殺された朝鮮人が埋められている。

 















 
     南丁嶺山頂から見た「朝鮮村」  中央の平地に犠牲者が埋められている
      
1998年の訪問と「発掘」
 「発掘」はごく一部分を韓国KBSが行い、「発掘」後は埋め戻された。

「朝鮮報国隊」の人たちが着せられていたのは青い服 
   

「朝鮮報国隊」の軌跡   
 朝鮮の刑務所に入れられていた人たちが「朝鮮報国隊」として海南島に送られた     

「朝鮮報国隊」関係文書」
          

       
        

2001年1月の「発掘」
 「発掘」は韓国MBCが行い、多くの遺骨・遺品が発掘された     

2006年5月の試掘  
 三亜市外事課によって中断させられた

海南島から生還した朝鮮人たち 
      

        
      

2001年「発掘」ののち
 遺骨の一部は「展示」されたが、大部分は砕かれてしまった

虐殺を目撃した人たち
 村に住む人たちが虐殺を目撃している

還らなかった人たち
 海南島で死亡したという戸籍の記録  

        
      

  
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