海南島近現代史研究会

第5回定例研究会のご案内


と き:2010年2月14日(日)午後1時〜午後5時半(開場12時)
ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階)
参加費:500円(会員は無料です)



内容

【報告T】 三竈島から海南島へ――もう一つの南進政策

   蒲豊彦
  日中戦争の主戦場は華北や華中である。しかし日本軍は華南にも着実に侵攻し、1938年には、マカオ近辺の三竈島に華南で最初の陸上航空基地を設置し、さらにその近辺の島でタングステンを採掘している。兵器製造に欠かせない金属である。戦闘と、資源の獲得。翌39年にはこの流れが海南島へ、41年にはさらにマレー半島へと続く。



【報告U】 海南島での同仁会(研究ノート1939年2月10日の世界史的意味

   キム チョンミ
 日本の侵略地域で「診療」と「防疫」をおこなうために1902年に創設された同仁会は、1942年4月に海南島に侵入した。同仁会が海南島で日本軍とともにおこなった「診療」と「防疫」の実態を追及する。



【報告V】 1939年2月、マスメディアは海南島侵略をいかに報道したか 3

   竹本昇
 海南島侵略に同行取材した新聞各社の記者の報告文(『海を越えて』1939年5月号〈拓殖奨励館発行〉に掲載)と、『台湾日日新報』の記事の内容を報告します。



【報告W】 曹靖『回顧長仙聯村“三・一”血泪史』を読んで

   鐘翠雅
 1945年農暦3月1日に、日本海軍佐世保第八特別陸戦隊が長仙聯村(長仙村ほか8か村)の村人720人を殺しました。幸存者である曹靖さんがその著書でなにを伝えようとしているかを、みなさんとともに考えたいと思います。



【報告X】「Y作戦」と住民虐殺

   斉藤日出治
 日本軍による住民虐殺が偶発的に起きたものではなく、海南島における日本軍の軍事戦略、および日本のアジア侵略の過程に不可避的に随伴するものであったことを、『海南警備府戦時日誌』を手がかりとして明らかにしたい。



【報告Y】 アジア太平洋戦争開始前後の海南島侵略日本海軍の「Y5作戦」

   佐藤正人
 1941年12月8日の13日前に日本海軍は海南島で「Y5作戦」を開始し、アジア太平洋侵略戦争の基地の治安を確保しようとした。2か月間続けられた「Y5作戦」の実態・本質を、同時期の日本軍の侵略犯罪全体のなかで解明する。



■海南島三亜郊外の「朝鮮村」の現状と「朝鮮村虐殺」の真相究明について
■2010年夏の海南島での第4回海南島近現代史研究会総会について


主催:海南島近現代史研究会
【事務局】 大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室